存在意義のわからない食べ物たち
こんばんは、もうこんな時間か。
おふとぅん (@ofutun_desu) です。
突然ですが、みなさんは食べられない食べ物はありますか?
僕はあまりありません。両手を合わせて食事を終える際に何かが残っているとストレスに感じます。どうも、残っている食べ物から哀愁を感じてしまうのです。
しかし、残さないとはいうものの、好き嫌いは、あったりします。今日は食べ物にありつけることを感謝しつつも、食べ物の愚痴でもこぼしていこうかと思っております。
僕はドライフルーツの存在が好きになれない。みずみずしく爽やかなのがフルーツの良さだと考えている。なぜ乾かすのか。
保存のため?
そういう議論をしているわけではないけれど、そんな議論をしていたとして、近くで手軽に果物が手に入るご時世に需要がある意味がわからない。わざわざ手間をかけてカラカラにして、変に甘くなって、あまつさえ独特のクセまで入り込んでいる。熱してしまう系はすべからず同罪だ。
特に許せないのは干しぶどうだ。レーズンとも言う。ラムレーズンと混同してしまうので、実は違う食べ物なのかと思っていたが、どうやら日本語とフランス語の違いらしい。そんなことはともあれ、みなさんはぶどうの皮は好きだろう?あれを好きという人がいるのであれば、この記事は見なかったことにしてほしい。乾燥させることによってぶどうの中で1番美味しくないであろう部位が主に残り、感想フルーツの独特の風味に皮のえぐみを足して凝縮することで破壊的な味に仕上がっている。僕からするとまさに悪夢のような食べ物だ。
なぜあのような食べ物があるんだ。さらにタチの悪いことに、干しぶどうはほかの食べ物と混ぜられて使われることが多い。美味しいパンやケーキを口に頬張って気づく、
「あっ、干しぶどうだ」
テンションの大暴落。風呂上がりのバニラアイス。ラムレーズンにしたら美味しい?いや、そういうレベルの不味さではない。
他にも、肉以外を対象にした大根おろしの存在意義とか、味噌汁にカボチャとか、よくわからない色の腐りかけの野菜とか、キュウリとか色々あるのだけれど、このあたりは別の機会にでも話そうかと思う。
最後に
生きとし生けるものに感謝するのであれば、美味しく食べないと。