雨の日の楽しみ方を考えていたら、雨の日の何を楽しめば良いのか分からなくなってしまいました。
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
『 雨の "日" の楽しみ方 』については多くの選択肢があると思う。たとえば、室内で行えることの可否に、天気という要素はほとんど関わってこない。読書をするもテレビを見るも、あるいはコーヒー片手に音楽に聴き入るのも良いだろう。
しかしながら、これらのことは晴れの日も行うことが出来る。要するに『 雨の日だからする 』のではなく『 晴れの日ではないからする 』という表現が僕としてはしっくりとくる。雨である必要はないのだ。
では、『 雨の "日しかできない" 楽しみ方 』といえばどういうものがあるのだろうか。例えば、雨の日しか出来ないオシャレをする。可愛い長靴や可愛い傘を身に纏う。
うん、確かに雨の日しか出来ない。しかしながら、自分自身、雨の中でさえ美しくあろうとする美意識は持ち合わせておらず、そもそも雨でなくとも美しくなく……。
とまあ、こういった感じで、雨の日しか実現できず、かつ楽しめることをさがすのに難航している次第である。
ふむふむ、どうしたものかと…
もしかすると、雨をあまり楽しめていないのではないかとも考えた。
が、それもまたしっくり来ない。
雨によって自分の行動を制限されてしまうことを加味すると、好きになれない。しかしながら、雨の、雨自身の雰囲気はなんとも嫌いになれないものがある。
『 雨の "日" を楽しむ 』
『 雨の "日しかできない" ことを楽しむ 』
…
例えば、雨という存在自身を楽しむのが良いのではないだろうか。
もし、何の付加価値も無いただの雨そのものに魅力を見いだせたのなら、外に出られなくとも、オシャレに興味がなくとも、雨の日を恒等的に楽しめるのではないだろうか。
これは結構自分の中でしっくりとくる。もし僕が雨の日を楽しんでいるとすれば、結局のところ、雨自身を楽しんでるのだろう。
ここまでくると次に、
雨の何を楽しんでいるのだろうかというところが、言語化できない。
そう、これらを言葉に落とし込むためには、おそらく美的センスが必要なのだが、前述のオシャレのところでも記したように、そんなセンスを持ち合わせていない。
と、いうことで、今回は美的センスばりばりの Instagramer が撮影した雨の写真いくつかペタペタして、いわゆる "いんすぴれーしょん" というものを得ようと目論んでいる。
目論んでいる...
( 何だかんだで、そこそこ文章書いた気がするのでそろそろ終わろうかなと )
これから本題に入るような雰囲気を醸し出しておきながら申し訳ないが、このあたりで締めさせて頂きたい。 まあ、ここまで書いたら、この記事は全部終わったようなものだ。
もしこの記事を最後まで読んでいる人が居るのであれば、結婚しよう。それぞれの『雨自身の美しさ』とやらを勝手に見つけてくれ。
無論、写真を選ぶのは美的センスの無い僕なわけだが、その辺は知らんぷりをして頂けると幸いだ。